オリンピック開会式のアナウンス、なぜフランス語から始まるのか?

東京オリンピックの開会式をテレビで見ていたら、開会式のアナウンスでフランス語から始まった。
個人的に「あれ??」って不思議に思ったのですが、私と同じように感じた方も多くいらっしゃったのではないでしょうか?
普通は英語からじゃないの?と思ったのですが、フランス語から始まるのはやはりそれなりの理由があるに違いないと思います。
コロナ禍のまだ収束しない中で始まった2020東京オリンピックの開会式。
フランス語から始まるアナウンスがなぜ??という疑問になりました。
そこで今回は、オリンピック開会式のアナウンスがなぜフランス語から始まるのか?を調べてみました。

オリンピックでは、なぜフランス語が公用語となったのか?

国際的に広く多く使われている言語は「英語」なのは間違いない事実だと思います。
当然ですが、テレビを見ている多くの人が英語でアナウンスが始まると思っていたのではないでしょうか?
しかし聞こえてきたのは・・・フランス語でした。
その後に、英語、日本語の順番にアナウンスされていました。
オリンピックにおいてフランス語が使われて、しかも一番先に使われるのには、はっきりとした理由がありました。
それは、「ピエール・ド・クーベルタン男爵」が途絶えていた古代オリンピックを近代オリンピックとして復活させた功績が非常に大きいとの事です。
彼は近代オリンピックとして、スポーツの祭典であるオリンピックの復活においての最大の功労者なのです。
今の国際オリンピック委員会(IOC)の設立やオリンピック憲章も彼が中心となって設立されたものです。
そして、クーベルタン男爵はフランス人であった事から、オリンピックではフランス語が公用語になりました。
「ピエール・ド・クーベルタン男爵」について気になる方はクリック

オリンピックの公用語で英語よりフランス語が優先なのは?

オリンピックの公用語は国際オリンピック委員会(IOC)によって「英語」と「フランス語」に定められています。
そして、なんと「フランス語」に優先権が与えられています。
おそらく理由としては、先ほど述べたようにクーベルタン男爵のオリンピック復活の功績からという風に考えるのが自然です。
さらに「フランス語と英語で解釈の違いが生じた場合は、フランス語の解釈を優先する」という決まりもあるくらいフランス語が優遇されています。
オリンピック復活とIOCの創始者である、最大の功労者である、クーベルタン男爵がフランス人であったというのが最大の理由でしょう。

アナウンスの順番は?「フランス語」「英語」の順?

フランス語に優先権がある事からもお分かりの通り、開会式・閉会式・表彰式などにおけるアナウンスには決まった順番があります。
①フランス語⇒②英語⇒③開催国の言語という順番です。
なので、今回(2021年7月23日)の2020東京オリンピックでは、フランス語⇒英語⇒日本語の順番でアナウンスがされたのです。
今回のオリンピックまで、私自身は気が付かなったのですが、冬季長野オリンピックの時にも同じ順番だったという事でした。
このルールに沿って毎回開催されているのであれば、次回夏季オリンピックはパリ開催になるので、フランス語⇒英語で終了ですね。
その次のロサンゼルス開催でも、フランス語⇒英語で終了という事になりますね。
私自身のオリンピックを見る楽しみが一つ増えました。
という事もあり、コロナの感染拡大次第になるとは思いますが、夏季のパリ開催の前にある冬季北京オリンピックでのアナウンスの順番にも注目してみようと思います。
ほぼ間違いなく、フランス語⇒英語⇒中国語の順番でアナウンスされると思います。

クーベルタン男爵の名言をフランス語で見てみましょう!

彼の名言をフランス語でいくつか紹介させて頂きますが、おそらく一度はどこかで聞いたことがある言葉ではないかと思います。
L’important, c’est de participer.
この言葉は、よく「参加する事に意義がある」という風に訳されてオリンピック以外でも良く使われています。
この言葉は、実はクーベルタン男爵の言葉だったんですね。
Plus fort, plus haut, plus vite.
「もっと強く、もっと高く、もっと早く」というオリンピック標語にもなっていますね。
この言葉は、元々はフランス人神父が学生に送った言葉だったようですが、クーベルタン男爵がオリンピックのモットーとして有名にした言葉ですね。
最後にもう一つ。
L’important dans la vie, ce n’est point le triomphe, mais le combat. L’essentiel n’est pas d’avoir vaincu, mais de s’être bien battu.
「人生において重要なのは、勝つことではなく戦うこと。相手を打ち負かしたことではなく、いかによく戦ったかが最も重要なのである。」という言葉です。
オリンピックではよくメダルを取れたか取れないか、またメダルの色までがその選手の評価になってしまっている傾向にあります。
メダルを取れなかった選手が母国ですごいバッシングを受けたり、メディアで酷評されたりというのも目にします。
勝負は時の運とまでは言いませんが、スポーツでメダルを目指して一生懸命頑張った選手を結果だけで評価するのはいかがなものでしょうか?
戦う姿勢をもっと評価してメダル取れなかったとしても、暖かく迎えてあげられる人間であってほしいと願います。

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